毛利登人  モウリ ノボル


[略歴](1821-64)萩藩士、名は武、幼名は左門、藩世子の近侍番頭・直目付など政務に参与、元治元年には四国連合艦隊との交渉にあたった、しかし、保守(俗論)派の台頭により京都出兵の責任を問われ、同志とともに野山獄で処刑された。
[旧宅跡]平安町西区の1(地図