益田親施 マスダチカノブ


[略歴](1833-64)萩城下に生まれる、萩藩永代家老、通称は弾正、のち越中・右衛門介と称した、阿武郡須佐(須佐町)を領した、幕末の混乱した国内情勢の中で当職・当役として藩主を助け、国事に尽力、元治元年、八・一八政変の冤罪を訴え兵を率いて上京したが禁門の変に敗れ自刃を命じられた。
[墓]阿武郡須佐町笠松山