竹田庸伯   タケダヨウハク


[略歴]](1809-95)萩城下の右田毛利氏家臣河見家に生まれ、藩医松島正悦の養子となる、萩藩医師、名は友直、通称賀熊、のち庸伯、竹翁と号した、長崎、大阪で蘭学を修め、藩医竹田太純の家名を継ぐ、侍医となり、藩の洋学振興に尽くし、医学館原書頭取役を努めた。
[墓]]京都瑞泉院