松林山 端 坊 (しょうりんざん はしのぼう)


▼お寺自慢▲
●城下町時代の梵鐘(萩市文化財)。
●萩城の庭にあった蘇鉄(市保存木)。
●萩城の杉戸.城解体後の遺物で大変貴重。
●椿もち(源氏物語時代からのお菓子)を食べたい方は、住所・氏名・電話番号をお知らせ下さい。店から時価でお届けします。

詳細データ
宗派         浄土真宗本願寺派
所在地    〒758-0033 萩市恵美須町99 
地図
電話        0838−22−2269
FAX        0838−22−2269
住職        榮 明忍 第二四世 昭和十四年九月二十二日生
本尊     阿弥陀如来(伝教大師作)
伽藍        本堂・山門・庫裏(寛文三年再建)/ 鐘楼(貞享三年建立)
沿革        京都端坊開基明源は大場景明という北面の武士であったが、出家して親鸞聖人の直弟子となり、明源と号した。聖人の没後、京都山料に草庵を結んだのが当坊の始まりである。第三世明運代に戦乱のため草庵は焼失したが、明源が聖人から下された九字の名号のみ焼失を免れた。寺宝として今に伝わる「焼け残りの名号」である。第四世明哲代に京都興正寺境内の六坊の一つとして端坊が建立された。第一○世明念代、西国の興正寺の門末を統轄するために、山口に建立されたのが現在の山口の端坊である。明念は本願寺と織田氏との戦いに戦功があり、その記念として顕如上人の命により描かれたのが甲冑をつけた明念像である。永禄十二年(1569)大内輝弘の乱のとき焼失したが、明念はその子明勝に京都端坊を譲り、山口端坊を再興した。ほどなく明勝の子明善に山口端坊を継がせたが、明善も寺を了性に譲り、慶長十三年(1608)に萩端坊を創建した。その後焼失したので寛文三年(1663)第一三世明琢代に再建され、さらに貞享三年(1686)毛利吉就の寄進により鐘楼が建立された。明治五年(1872)に末寺の妙栄寺と合併し、妙栄寺と号していたが、同八年(1875)元の寺号に復した。昭和二十七年(1952)に常教寺(法輪山、開基正誓は明念の弟子、慶長年間萩端坊の西隣に寺地を拝領し一宇を創建。寛永十五年〈1638〉、山号寺号を許可された)と合併した。端坊の末寺は九州・中国・四国地方にかけて存在したが、明治四十四年(1911)に長門末寺など二百余ヵ寺を返上した。
年中行事  修正会/ 除夜会/ 春秋彼岸会/ 宗祖降誕会/ 永代経法要/ 報恩講法要/ 仏教婦人会法座/ 仏教壮年会/ 仏法聴聞会
寺宝等       梵鐘(貞享三年、毛利吉就寄進、市指定文化財)/ 焼け残りの名号/ 明念甲冑像/ 御真筆(親鸞聖人・蓮如聖人・実如上人・証如上人・顕如上人・寂如上人)/ 書状(大友義統・小西行長・小早川隆景・黒田長政・安国寺恵瓊ほか)
歴代住職  開基明源/ 第三世明運/ 第四世明哲/ 第六世明芸/ 第七世明信/ 第八世明誓/ 第九世明了/ 第一〇世明念/ 第一一世明勝/ 第一二世明善/ 第一三世明琢/ 第一八世明朗/ 第二〇世湛然(大正三年没)/ 第二一世宏存(大正九年没)/ 第二二世正弥(昭和十四年没)/ 第二三世雪嶺(平成元年没) 
有名人      山根鉄蔵 / 山中三吉