聲震山 光楽寺 (せいしんざん こうらくじ)


▼お寺自慢▲
●自慢の寺宝
 1)毛利元就の乳母(後義母)「順徳妙好大姉」の位牌
 2)その絵像
 3)唐様一に三星
 4)判物(銀子十枚下付の文書)
 5)山号額「靜震山」草場居敬書
詳細データ
宗派           浄土真宗本願寺派
所在地      〒758-0021 萩市今古萩67
地図
電話       0838−22−2829
FAX           0838−22−2829
住職           守重哲真 第四世 大正十一年六月二十四日生
本尊       阿弥陀如来
伽藍           本堂(寛永七年建立)
沿革           明治四年(一説に明治十九年)、安楽寺(上五間町)と妙好寺が合併し、妙好寺の地に新たに光楽寺と号する寺となった。さらに昭和四十六年(1971)、妙元寺(北古萩)を合併した。
        安楽寺(聲震山)は、備後出身の守重為明が山口に来て禅昌寺の弟子となり、明善と号していたが、萩の河添に聲震庵という禅庵を構えた。その後霊夢を見て元和年間(1615〜23)に真宗に帰依し、本願寺准如上人に拝謁し改宗した。第三世教信代、寛文四年(1664)に上五間町の地を拝領して移転し、専光寺と号するようになったが、延宝七年(1679)安楽寺と改号した。
        妙好寺(芬陀利華山)は広島高田郡に大永という僧が創建、当初禅宗であったが、山口に移り真宗に改宗し、さらに寛永七年(1630)萩の今古萩の地へ移った。文久四年(1864)尊光寺と改めた。
        妙元寺(北浜山)の開基玄可は北条義時の末裔といわれ、七歳の時、京都興正寺の准円上人の弟子となり、清光院が山口に建立した御堂に出勤し、その後も毛利家と縁があって、慶安四年(1651)に北古萩の浄国寺西側に寺地を拝領し建立した。昭和四十五年(1970)第一三世中所元臣の没後廃寺となった。
年中行事 永代経法要(五月二十八・二十九日)/ 仏教婦人会(五月二十九日)/ 報恩講法要(十月八・九日)/ 盆会(八月十三〜十五日)
寺宝等      順徳妙孝大姉(毛利元就の乳母、弘元の後妻)の画像並びに位牌(広島の妙好寺は順徳妙孝大姉の菩提寺であった)
歴代住職 光楽寺開山寂真(明治二十八年没)/ 第二世哲雄(昭和十七年没)/ 第三世哲成(昭和五十年没)(代々守重姓)
有名人     大野泰二 / 河村末松 / 吉雄昌甫