吉運山 亨徳寺 (きちうんざん こうとくじ)


▼お寺自慢▲
●三門(市文化財)の大戸に鳳凰と孔雀の彫刻あり。古人曰く、夜になると両鳥徘徊し、又ときに喧嘩するため、くちばしと足を削りとってあると。
●三門を入って左手に木像の達磨像(八尺)がある。
●織部灯籠一基あり。
詳細データ
宗派          曹洞宗(禅宗)
所在地     〒758-0032 萩市北古萩66
地図
電話          0838−22−0280
FAX          0838−26−3899
メール
住職         荒木玄修 第二四世 昭和三十七年十一月二十四日生
前住職      荒木茂樹 第二三世 昭和七年十二月八日生
本尊         釈迦牟尼仏
伽藍         本堂(昭和三年再建)/ 庫裏(大正十二年)/ 位牌堂(昭和三年再建)/ 三門(元禄八年、市指定文化財)/ 達磨堂(昭和五年再建)/ 豊川稲荷堂(昭和五年再建)
沿革         享徳元年(1452)大内教弘(大内家第二八代、寛正六年没)を開基として江向の地免(田中の荒神が寺の鎮守といわれるので、現在光塩幼稚園あたりか)に創建された真言宗寺院が当寺の前身である。寺号は創建の年号によると思われる。その後元亀年間(1570〜72)に、山口龍福寺第九世賢策が、現在海潮寺の南側、亨徳寺墓地の所へ寺を移し曹洞宗となった。第四世宗天代、慶安二年(1649)に焼失したが、輝元の三男大吉丸の位牌を安置している寺であることもあって、国司備後守より防長二州での浄財勧募を許され、承応元年(1652)に現在地に再建された。第二○世町田寿仙代、大正十年(1921)火災に罹り焼失、昭和三年〜五年(1928〜30)に再建された。三門・庫裏・達摩像は焼失を免れている。末寺に大応寺(大井)・中善寺(越ヶ浜)・東雲寺(福栄村)・大林寺(山口市)・弘済寺(宇部市)がある。
年中行事  祈祷会(正月三朝)/ 涅槃会/ 彼岸会/ 降誕会/ お盆施餓鬼会/ 開山忌/ 成道会/ 豊川稲荷祭(一月)/ 坐禅会(毎週月曜)/ 婦人会(年六回)/ 梅花流御詠歌(月六回)
寺宝等    達磨像(座像八尺、元禄時代、椿村袋求浄人の作)/ 織部灯篭(萩藩御用商人宗像家の寄進)/ 金剛経木版原板/ 第六世雲外和尚の手形と署名入り数珠/ 山号額(黄檗独立の書)/ 三門(元禄八年(1695)第五世三江祖元和尚代の建立、第六世雲外龍峰和尚直筆の棟札あり、三間三戸の楼門で屋根は入母屋造り桟瓦葺き、上階周囲に高欄付きの縁を巡らせている。正面の大戸にある鳳凰と孔雀の彫刻は飛騨甚五郎作と伝えられ、両鳥の喧争により、くちばしと足がなくなったという伝説がある。また京都聚楽亭の北門を移築したとの説もあるが、大戸のみを移したのであろう。市指定文化財)
歴代住職   開山賢策(天正五年没)/ 第二世守宝(寛永元年没)/ 第三世玄珠(寛永十一年没)/ 第四世宗天(明暦元年没)/ 第五世祖元(元禄十二年没)/ 第六世龍峰(正徳二年没)/ 第七世孚璞(宝暦六年没)/ 第八世活門(延享四年没)/ 第九世法雲(宝暦十二年没)/  第一〇世活充(寛政四年没)/ 第一一世活趾(寛政十年没)/ 第一二世哲産(享和二年没)/ 第一三世祖関(嘉永元年没)/ 第一四世金峰(安政三年没)/ 第一五世慧明(明治四年没)/ 第一六世劫寿(明治三十九年没)/ 第一七世全虎(明治三十三年没)/ 第一八世卍鏡(阿川、大正四年没)/ 第一九世文勇(山田、昭和三年没)/ 第二〇世寿仙(町田、昭和十一年没)/ 第二一世雪城(岸田、昭和三十二年没)/ 第二二世雪童(阿武、昭和四十七年没) / 第二三世茂樹(荒木)
有名人       榎本元久 / 烏田圭三 / 草場居敬 /  国司親相 / 大楽常樹 / 瀧 鶴台 / 田總百山 / 津田東陽 / 能美隆庵 / 布施御牆 / 山県十左衛門 / 山田頴太郎 / 大和国之助 / 山本勉弥