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          不審者報道に思う

曹洞宗・蔵海軒・村上徹山


 毎日のように報道されている不審者の出没、萩市内にもあちこちに見かけたという噂が流れています。日本中どこでも、大都会でも、のどかな田園風景の広がる田舎でも、悲惨な事件が起こっています。

 小さな子供を養育している若い親御さん達にとって本当に油断のならない昨今の世相ではあります。

 私はしかし、子供が不審者による身勝手な動機によって命を奪われたり、傷つけられたりする事件の報道に接する度に、一つ気になることがあります。

 それは、不審者による事件はマスコミでも多くの時間を割いて報道されますが、子供がその保護者であるべき家族によって虐待されたり、殺害されたりする事件はあまり大きく時間を割いて報道されていないのでは、という疑問です。報道の内容も児童相談所や警察の対応は適切であったか、はたまた学校はこの事実をどこまで把握していたかなどが話題の中心になっているような気がします。

これらのことも大事なことですが、問題の論点がずれていると私は思います。

 虐待によって命を奪われる子供の数は平成16年度だけで49人、去年の統計は出ていませんが増えていることは確実です。しかも加害者は両親が圧倒的に多いのです。深刻な虐待が行われているらしいという報告は年間3万件を超えているのです。

 不審者によって引き起こされる事件の数とは比較にならないのです。勿論不審者の存在に目を向けた対策も大事であることは言うまでもありません。

 本当の問題は、”家庭の中”にこそあるのだと何故指摘できないのでしょう。

 地域社会を構成する各々の家庭の中にこそ問題解決の本筋があるのだということをみんな知っているのだと思います。多くの人が気がついているのに誰もそのことを口にしない。そんな今の日本の社会は実に不気味な社会と言わざるを得ません。

 事件が起こる家庭や、事件を起こす人は何も特別な家庭や人ではありません。不審者にしてもどこかの家庭の一員なのです。自分の家も例外ではない。という自覚こそ大事ではないでしょうか。

 外に出て他人のマナー違反を注意することは中々勇気のいることですが、せめて自分の家庭の中で子や孫に、例え嫌われても言うべきことは言う。それが本当の愛情ではないでしょうか。
 

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