「仏様の御心は、大慈悲そのものである」観無量寿経にある有名な言葉です。
さらに「大慈悲」を、私の代わりに苦しんでいただける「代受苦」と味わうと、その聖意(御心)がいっそう身近に感じられます。
代わりに苦しんで頂ける世界があるというのは、それだけで大いなる救いです。、救いは不思議の世界です。
金子みすず の詩をご紹介しましょう
私は不思議でたまらない 黒い雲から降る雨が
銀にひかっていることが
私は不思議でたまらない 青い桑の葉食べている 蚕が白くなることが
私は不思議でたまらない だあれもいじらぬ夕顔が 一人でぱらりと開くのが
私は不思議でたまらない 誰に聞いても笑ってて あたりまえ だということが
北原白秋は
赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた
白い鳥小鳥 なぜなぜ白い 白い実を食べた
青い鳥小鳥 なぜなぜ青い 青い実を食べた
と詠っています。
「バラにバラの花咲く、何の不思議なけれども」 とも詠っています。
トマトにはトマトの、ナスにはナスの花が咲くのです。花が咲けば疑いもなく、千に一つの仇もなく立派な実がなるのです。そしてその実を頂くのです。
本当に不思議です。不思議の感じられるところに、その優しさ、癒しの世界が在るのではないでしょうか?不思議を不思議として、そのままに「ふーん」と味わう。ただそれだけです。
「ふーん」と長くのばさないで「ふん」と短く理解すると、一ふん、二ふんで話は終わりです。何とも味気ない世界です。不思議は、ただ、ただ、ながーく、ふーんと受け取るばかりです。
なぜ、救われるのでしょうか?
それは、御心だからです。
救いは、不思議の世界なのです。