月に一度、施設に入っておられるお婆さんを訪ねています。会えば必ず 泣いて喜ばれます。手を握ろうものなら、涙はあふれ、手を握ることをためらってしまうほどです。こんなに手応えのある、ご奉仕はないでしょう。
ところが、「和尚さん、月に一度だから、そんな事をおっしゃるのですよ。」と介護に明け暮れて、憔悴気味の娘さんです。
迂闊にも、相手立場を考えない、無遠慮な話題であったと反省いたしました。
現場のスタッフの人は、毎日の事です。ましてや、自宅で、痴呆気味のお年寄りを介護することは、技術的にも精神的にも、そして経済的にも大変なことです。
どんなに辛く苦しいか、どんなにお母さんの事を考えてお世話をしているか、涙ながらにお話しされるのをじっと聞いてあげました。
そして、最後にぽつりと 「お母さんが調子を崩して、大変な思いをするのは、結局、私なんですよね。私は、本当にお母さんの事を考えてあげているのでしょうか」と、また、涙を流されるのです。
我が儘になって、子供みたいになってしまったお母さんを恨めしく思う、しかし、その我が儘を、何の不平も不満も言わず、笑顔で優しく受け取ったお母さんだったのですね。そう言うお母さんだと分かっているのに、愚痴がでるのです。本当に哀しい現実です。
人は歯が痛いだけで、一時も我慢が出来なくて歯医者に駆け込みます。回りの人は「それはお気の毒ですね」と挨拶もします。が、どれほどお気の毒と思っているかどうか。「人の痛みは、三年我慢が出来る」のです。
人の痛みを思うとき、どれほど分かってあげられるのでしょうか?。すっかり子供になってしまったお母さんを見ていると、いたたまれない気持ちになります。
優しくじっと、こちらを見つめておられる仏様に、心底、心を投げ出したい気持ちになりました。