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          彼の悩みは、私の悩み

浄土宗・俊光寺・岩垣法順


突然の悩み事相談でした。萩を旅行中とのこと。悩みが深刻なようなので、お寺で話をする前に、萩の町が一望出来る、吉田松陰先生の誕生地で、そのお話を聞くことにしました。

「親思う心にまさる親心、今日のおとずれ如何にとうらん」親は私達が思う以上に子供のことを思っているのだと、初対面の彼に、型どおり、その句の説明をしたのです。

ところが、聞けば、親には会ったことがない、義理の両親は、可愛がってはくれず、暖かい家庭を知らないと言うのです。

目の前を、よちよち歩く子供が両親にぶら下がるようにして手をつなぎ、歩いています。可愛い子だなと思っていると、いきなり「あんな幸せそうな家庭を見ると、殴りたくなるんです」と眼に涙を浮かべて訴える。その告白に、私はとまどい、混乱してしまいました。

高ぶる感情のその原因を、ひがみ、ねたみの気持ちであると分析し、自分の家庭の不幸を正直にうち明ける彼に、どうアドバイスすれば好いのだろうか?

自分が不幸せであることと、他人の幸せと、どんな関係があるというのだろう?

隣の家に蔵が建つと腹が立つ、人の成功は、ねたまれるもの、人の不幸は蜜の味、ヒロインが不幸だと視聴率が上がる。人間のおぞましい性を、何時も笑いの中で見つめて、笑い飛ばすことで、真剣に立ち向かったことはない。

殴りたくなるという、彼のふるえる握り拳を見つめながら、人は、自分だけ一人幸せになることも、自分だけ一人不幸になることも出来ない、哀しくも寂しい生き物なのだと思い知らされた。

人の幸せを壊してやりたいと悩む彼と、人の幸せを素直に喜べない、それを切実な悩みとも思わない私と、どれ程違うというのか?彼の悩みは、私の悩みでもありました。

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