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          今朝も月参り

浄土宗・俊光寺・岩垣法順


 今朝も月参りで、お勤めに出かけた。

 おはようございます。俊光寺です。

 「はーい」と奥から若いお嫁さんの声が元気に聞こえてくる。

 しかし残念ながら、お仏壇の前に座って、一緒にお念仏をするのはお婆さんのほうで、朝のこの時間帯は出勤時間、一日の中でも一番忙しい時。

 「お婆ちゃん、行ってきますね!和尚さん失礼します。」

 若い方達は学校に、会社に、それぞれ出かけて行かれた。

 やっとというか、いつものと言うか、二人きりでお勤めがはじまり、懇ろにお勤めをし、回向をして、御茶とお菓子の時間になる。

 実はこれが楽しみでもあり、大事なおつとめでもある。

 今日は何時もとお婆さんの様子が違うと思いながら、小さな女の子の笑顔が表紙になっている小冊子を手渡すと、「まー可愛い、うちの孫みたい」「ね、ね和尚さん、うちの孫の写真も見て下さいな」と、最初から準備してあったのか、沢山の写真をドーンと持ってこられた。

 「ね、この子です。可愛いでしょ。」

 一枚一枚何か選ぶように、「ね、これも可愛いでしょ。これも、これも」、と次々に出される中にそっと横に隠すように置かれた一枚の写真が気になってしょうがない。

 隠されるとどうしても見たくなるのが人情と言うもの。

 半ば強引に見せてもらったその写真。それが実に可愛い笑顔の女の子。

 「お婆ちゃん、どこがだめなのですか、これが一番可愛いじゃないですか」というと、「アー和尚さんそれ、私の髪がめちゃくちゃでしょ、私が綺麗に写っていないの。」とおっしゃる。

 目に入れても痛くない可愛い孫と一緒でも、我が身が可愛い、自分が愛おしい、何時までも美しくありたいと言う気持ちは、ちっちゃなお孫さんにも負けないくらいで、年を取らないようだ。

 いやむしろ、その気持ちがお婆さんを元気にさせているようでもある。

 が、しかし、「その気持ちこそが苦しみの原因、種であると説くのが仏教です」と、言いかけて、そう言えば今日のお婆さん何か違うなと思ったら頭にチョンとヘアーピースを乗せている。

 しかもカツラだと分からないでしょと言う眼差しその風情、ここは、「良くお似合いですね」と言うべきか、はたまた知らないそぶりで「今日はなんだかお若いですね」と言うべきか、いやはや難しいお年頃です。




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