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          願われていた いのち

浄土真宗・専正寺・安間秀常


「お父さん。今日は僕が連れて行くよ」。

今は高校一年になった兄の、小学校入学第一日目の言葉でした。当時、まだ保育園に通っていた弟を自分で連れていくと言うのです。

「大丈夫か?」。思わず私は兄にそう聞きました。学校に行くまでに通る県道を沢山の車が通る。小学校一年になったとは言え、まだ七歳のわが子。〈ふざけて万が一にも県道に飛び出して車に引かれでもしたら!〉

親の私としてはとてもしんぱいでした。そばに居ました私の母も頻りに「大丈夫かね?大丈夫かね?」と言います。どうしようか迷いましたが、絶対にふざけて県道には飛び出さないようによく言い聞かせて任せることにしました。

お寺は高手に在って学校に行くまで県道が見えます。小さくて誰とは分かりませんが、県道のそばの歩道を歩く人の姿が見えます。

保育園までの距離は約一キロ。小学校はその先です。子供の足で歩いて十分か十五分位です。私の母が家のガラス越しにじっと見ています。

出発してから十五分。母が「まだ歩道を歩いている姿が見えないが、大丈夫かねえ?」と言います。「もう着いとる。心配せんでええ」と私は答えたものの、やはり心配です。

心配になって保育園に電話すると、もうとっくの前に着いて、元気良く遊んでいるとのこと。親の心配をよそにしっかりとその務めを果たしたわが子でした。

自分が心配するより前に、親は先んじて心配しているのです。あなたに先立ってあなたを心配していて下さった方、それが阿弥陀さまでした。あなたは仏さまのことを思いもしないのに願われていたのです。一人では無かったのです。

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