今、俊光寺境内に蓮の花が咲いています。
奈古の法積寺さんから頂いた蓮です。
水を絶やさないように、日当たりの良いところにと、注意して育てたはずなのに、去年は花が咲きませんでした。それが今年は咲いたのです。
茶碗蓮と言って、小さな茶碗のような鉢の中でも育つと言われる、素人でも花が咲かせ易い、丈夫な種類なのだそうです。
去年花は咲きませんでしたが、無事に冬を越した蓮根が泥の中でしっかりと育っていました。此の三月に株分けをして、今年こそはと、お念仏に励みました。
「煮干しを入れると花が咲くよ」とも言われましたが「和尚さんそりゃー、念仏が足りんからや」と言われたからです。
成る程そう言うこともあるかも知れないと思いました。そう言う会話が楽しいのです。
『念ずれば花開く』と言うすてきな言葉もあります。
八重に花弁をつけた花は、待ち望んだ花だけに,眺めていて飽きません。六個の小さな実をつけています。南無阿弥陀仏の六つの種だと思うと嬉しくてたまりません。
雨に打たれたせいで、三日ほどで散ってしまいましたが、ちゃんと実を成らせて、立派な蓮の台、蓮(はちす)の台(うてな)が出来ています。
花を眺め、きれいな花に目を奪われていると、その花を咲かせることが、最終目標のように考えてしまいがちですが、花を咲かせる目的は、実をならせることなのです。
咲いた蓮の花を縁にして、出会いが広がります。いつもは黙って通り過ぎるご近所の方が「心が和みますね」とご挨拶される。
「お寺に蓮の花は好く似合いますね」次から次と会話が弾みます。
そうなんです、泥の中にこそ咲く蓮の花が仏の華であることに深い意味があるのです。
清らかな、泥に染まらない花を咲かせ、さらに実を成らせるまで、芽が出てふくらんで花が咲いて実が成って、仏様が座っておられるあの蓮台が出来るまでが花のいのちです。
次にはもっと大きな花が咲くはずです。