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          「食事」〜本山での思い出〜

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


 修行から帰られた若い和尚さんに会う機会がありました。

 爽やかで清々しいその姿を見ると、自分の中で忘れかけたものを思い出させてくれます。

 今回は本山での食事についての思い出を少々述べてみたいと思います。

 本山では坐禅、掃除などと並んで、食事も大変重要な修行項目です。

 道元禅師がお示しになられた作法が今に続いています。

 食器の扱い方や頂き方、食事の心得、お唱えごとなどなど、1つ1つがきちんと決められています。

 何も知らずに本山に上がった私は、それを覚えて身に付けていくのが一苦労でした。

 食事内容も、道場では肉、魚はご法度、全て精進料理です。

 中には野菜嫌いの人もいましたが、好き嫌いは勿論言えません。

 残すのはもってのほかです。

 係りの修行僧が作られた料理を、残さず頂く。

 それぞれの食材の命を頂くわけですから、頂く側も大切に頂くわけです。

 欲を埋めるための食事ではなく、修行する体、すなわち仏の道を保つための食事です。

 特に記憶に残っているのは、修行の最初の1ヶ月間です。

 食事については、限られた分量のご飯や汁を数十名の修行僧同士で分け合ってというものでした。

 修行僧というと20代前半の若者が殆んどですので食べ盛りです。

 お互いに分け合う量の多い少ないで、本気でいがみあい、殺伐とした雰囲気になることもしばしば。

 あまりの空腹に、睡眠中食べ物の夢を見るというのも生まれて初めての経験でした。

 恥ずかしながら、まさしく「足るを知る心」とはかけ離れた有り様でした。

 飽食の世代の私にとっては、正直辛い時期でありました。

 しかしそのお陰で「食べ物は大事である、決して粗末にしてはいけない」という基本中の基本を我が身に叩き込むことが出来たと思っています。

 お盆が近づき、暑くなって参りました。

 どなたもどうぞご自愛ください。

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