このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)


          歳はとってみるもの

浄土宗・常念寺・古本光然


 こちらは萩心の電話です 今週は浄土宗常念寺がお話し致します。

 我が国は 世界有数の長寿国になり、百才をすぎている人に出会っても、それほどめずらしいとは思わなくなりました。

皮肉な見方をすれば、お釈迦様の説かれる「老いの苦しみ」を永く味わう人が多くなったと言う事ですし、同時に「病の苦しみ」もついてまわることになるわけです。

私も還暦を過ぎ、気力も体力もかなり衰えて来ました。「歳はとりたくないものだ」と思うことがしばしばあります。でも、苦しい事ばかりじゃ無いと言う気がいたします。

 今年の一月、萩で講演されました、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生は「歳をとるとねえ、若いときよりも草や花がきれいに見える。音楽もより感じる。感性ってのは、歳と共にシャープになっていく」と言われ、92才の今も現役で活躍しておられます。

我々凡人には先生のような才能はありませんが、凡人は凡人なりに、若い時には気付かず、歳をとって解って来る事がいくつもありそうです。

 先日、お檀家のご親戚で、50代半ばの男性が、本堂の中程に座っておられました。めったにお寺に参るような人ではなかったので「どうされましたか?」と尋ねたところ、「この間まで、お寺は薄気味の悪い所と思うてましたが、近頃は、こうしていると、何だか妙に気が落ち着くようになりました。歳をとったからでしょうかね」と、にっこり、笑顔で答えられました。

 若い者には負けたくないという気概を持つ事も、若さを保とうと努力することも大切かもしれませんが、歳を重ねたからこそ味わえる「渋味」も捨てたものではありません。

「歳はとりたくないものだ」ではなく「歳はとってみるものだ」、そんなせりふを言う場面が何度もあれば良いなと願っております。

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。