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          病の子

浄土真宗・光源寺副・三上照文


 京都の浅田農産のニワトリが鳥インフルエンザであると報道された時、「この経営者は何をやっていたんだ。もっと早く報告すればよかったのに」と私は思いました。

 そして、その一週間後、浅田農産の会長夫妻が自殺なさいました。

 私はなんとも言いようのない思いがしました。

 困っている人に対して正論を振りかざし、余計窮地に追い込むようなところが、私にはあるのです。 

 一方、仏様の慈悲は違います。

 苦しんでいるものに真っ先にはたらくのです。

 『涅槃経』というお経の中に七人の子の譬えがあります。

 七人の子があれば、親はどの子も同じようにかわいい。

 しかし、もし、その中に病の子があれば、親は真っ先にその子に心をかけ看病します。

 同じように、仏様の慈悲も平等の慈悲であればこそ、病い重きもの、苦しんでいるもの、悲しんでいるものに真っ先にはたらくというのです。

 親鸞聖人はこの七人の子の譬えを『教行信証』の中に引用されています。

 しかし、親鸞聖人は、周りの可哀相な人たちでも仏様が救って下さるのだと、仏の慈悲を他人事のように遠くに眺めていらっしゃったのではありません。

 自分自身が救われ難い病の子であり、その救われ難い自分が救われてゆくのだから、すべてのものが必ず救われてゆくのだという押さえがあったのです。

 困っている人の心境など考えもしないで、自らの損得に生きる私であるからこそ、すべてのものを救いたいという阿弥陀様の大慈悲心に導かれる生活しか私にはないのだと思います。




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