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          心の安らぎ

                                      (真言宗・弘法寺・小野 普英)


古くより伝わる物語の中に『悲しみの友はない』という言葉があるそうです。今回はその言葉の意味を探りますとともに、皆様とどうすれば心の安らぎが得られるのであろうかという、あるいは古くて新しいテーマを考えてみたいと思います。

まず冒頭の一節は、仏教に詳しい方の著書によりますと、「ジャータカ」という物語に出てくるそうです。少しその内容に触れてみますと、話は次のように語られております。

昔、ある国の王が家臣の裏切りにあいました結果、隣国に国を奪われてしまいました。すべてを失い、とらわれの身となった王は、それでも全く動じたところを見せませんでした。

顔色ひとつ変えずに靜に牢獄に座しているその姿を見て、相手国の王は不思議に思い、その訳を尋ねました。

すると、それに応えてとらわれの身の王は「悲しみは過ぎ去ったことを呼び戻さず、まだ来ない幸せを招かない。だから私は悲しまない。悲しみに友はない」と詩を唱えました。

著者は、この物語について、自身の解釈を交えまして、次のように語っておられます。およそ、信頼していた人に裏切られたり、大切なものを失ったりしたときには私たちは深い悲しみに襲われます。

“今まで自分のしてきたことは、生きてきたことの意味は、何だったのか”というようにです。その悲しみと絶望が深ければ深いほど心身は病み、ときには自分自身をまったく見失ってしまうことさえあるでしょう。

いったい私たちはなぜそれほどにも悲しみ、苦しむのでしょうか。仏陀はその原因を執着にあるとしております。

人間関係や地位、名誉、金品などを所有すること自体に問題はありませんが、それらに執着するときにあらゆる苦しみが生じてきます。

この世では一切が無常であり恒久的に存在するものや所有できるものは何もない。その事実をあるがままに受け止めて執着を捨てるとき、悲しみや恐怖から解き放たれて、平安が得られるのでしょう。

また紹介されました詩の最後は「あらゆる欲味を享受し、己ひとりに満足しない者には全大地といえども安楽をもたらすことなし」と結ばれているそうです。実際にはその実践は難しいのですが、言ってみれば少欲をもって足りるとすることが大事であるということでしょうか。


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