違いをこえて
(浄土真宗・永照寺・松岡 洋之)
子どもが塗り絵をしています。
横から覗いてみると、「うすだいだい」と標記された色鉛筆が目にとまりました。
一昔前までは、「肌色」という名前で呼ばれていた色です。
長い間、何の疑問も持たずにそう呼んできましたが、勿論、肌の色は人によって異なります。
「肌色」は決して一つではありません。
私たちが日常でこぼす、「これが当たり前」「それが普通のこと」という思い込みや決めつけは、自分が「正しい」、相手は「間違い」という態度や姿勢を引き起こします。
それはやがて争いへと発展し、たくさんの悲しみや苦しみを生み出します。
「青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかである。」と『仏説阿弥陀経』には説かれます。
お浄土に咲く蓮の花は、それぞれが自分の色を持ち、光を放って、調和を保ち、それぞれに輝いていると示されます。
私たちも自己を見つめて、互いを敬い、認め合う心を養わせていただきたいものです。
いじめや差別、けんかや戦争は、お互いの違いを認めあうことができないところから始まります。
互いが相手の身になって考え、理解しあい、生かしあっていく時、対立をこえた道が開かれます。
まずは、それぞれの違いや見方を認め合うということ。
「ああ、そういう立場もあったのか、そういう見方もあったのか」と頷きあう世界。
そこからが出発点となるのではないでしょうか。