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      コロナ禍と念彼観音力

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 新型コロナウイルスを意識しない日、それは一体いつ訪れるのでしょうか?

 またこのようなとき、仏教は私たちに、一体何を説き示してくれるのでしょうか?

 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』、通称『観音経』は、日本人のみならず、東アジア全域で長い歴史を通して最も広く民衆の支持を得てきました。

 その趣旨は、「念彼観音力」と観音菩薩の力を心に思い浮かべれば、どのような苦境にあっても、あっという間に乗りこえられるというもの。

 たとえ火が燃えさかる大きな穴に投げ落とされようとも、あるいは大海原に漂流して竜のような魚やさまざまな鬼神に襲われようとも、あるいは残虐無道な盗賊に刀で殺されそうになろうとも。。。

 命に危険が及ぶような絶体絶命の極みにあるときにこそ、観音菩薩の力を思い浮かべれば、たちどころに救われると説かれるのです。

 これは現代の私たちにとって非合理的で、あまりピンとこない人も多いのではないでしょうか。

 しかし、彼の時代の人たちにとって「死の危険・死の恐怖」は、私たちの想像を遥かに超えるほど身近でした。

 私たち人類の祖先ばかりか、あらゆる生命体は、何度もギリギリの中で命を長らえ、何とかして必死の思いで次世代へと命を伝えてきたということに、深く思いをめぐらさなければいけません。

 絶体絶命の困難を乗りこえるために、祈りと願いを強く懐き、生きるか死ぬかの瀬戸際で発した言葉が「念彼観音力」に象徴されています。

 この命が決して平安無事に生かされているのではなく、悠久の過去においても、同じような危機に何度も直面してきたこと。

 そして、絶望と悲嘆に打ちひしがれながらも、かろうじて生き延びてきた命を、今の私はいただいていること。

 今、コロナ禍に直面した私たちは、これらいずれをも感じざるを得ません。

 しかしその一方で、どんな危機にも立ち向かい乗り越えてきた、とてつもない底力が私たちにも具わっているはずだと、勇気と希望も持ちつつ謙虚に日々を送りたいと念じてやみません。