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          「彼岸」の過ごし方

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


 日中、随分と暖かくなり過ごしやすくなりました。皆様如何お過ごしでしょうか。

 さて、このお話をさせて頂くのは、ちょうど春のお彼岸に当たります。

 今日、私が感じるお彼岸の風景としては、春分の日、秋分の日を中心として前後三日、七日間の間に、お寺やお墓にお参りしたり、または菩提寺の方丈さまがご家庭にお参りに来て下さったりといった、亡きご先祖への追善供養の儀礼を通じて、仏さまの世界におられるご先祖のお元気を願う。

 そして私たち家族をお守り頂けるようにご先祖にお願いする、といった意味合いが強いように思います。

 しかしながら、そもそも「彼岸」とは「向こう岸に至る」ことで「到彼岸」といい、煩悩が無くなった状態、悟りの世界に至ること、完成、完全という意味を示します。

 ちなみに「彼岸」に相対する言葉は「此岸(しがん)」といい、この世、苦しみに沈む世界、すなわちこの人間世界であるとされています。

 ここで、自分なりに、この「到彼岸(とうひがん)」という言葉を味わった上で、改めてお彼岸の期間の意義を考えてみますと、先ほど述べましたような様々な追善供養を通して、ご先祖の悟りの完成を願うこと。

 と同時に、命を頂いて生かされている私たち自身も「このお彼岸の間は、愚痴や悪口を言うまい」とか、「今日も穏やかに、心静かに過ごそう」或いは「嘘はつかない」といったように、自分自身の精進として、身近なところで自分なりに誓いを立てる。

 そうしてご先祖と共に私たち自身も、み仏の悟りの世界に近づけるようにこの期間を大事に過ごすこと。ということになろうかと思います。

 如何でしょう。仏さまと同じように、このお彼岸を過ごしてみませんか?



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