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          百年たったら宝物

浄土宗・俊光寺・岩垣法順


 「百年たったら宝物」と言う言葉ごぞんじですか?

 思わず合掌したくなるような言葉です。

 「浜崎おたから博物館」に出掛けて思いがけなく見つけた、ひときは輝く「お宝」がこの言葉です。

 「お宝」と聞いて、ひと儲けと思う人がいるかもしれませんが、残念、そういう話ではありません。

 ひと花咲かせようとはよく聞く言葉です。

 種を蒔けば花が咲き実がなる。

 一年草なら一年経って花が咲く。

 それが百年経ってやっと花が咲くと言うお話なのです。

 しかも、自分の代では、花は咲かない。

 自分でその花を見ることも出来ない。

 それでも丹誠込めて水やりをすると言う姿がこの言葉の背景です。

 私達が一代で出来ることは、たかが知れています。

 二代三代に渡ってやっとできる仕事、受け継ぎ受け渡して完成させてゆく仕事に、生まれて来た意味、その責任を感じます。

 人生はよくマラソンに喩えられますが、襷を掛けて次の走者に渡す駅伝走者が私達なのではないでしょうか。

 自分が一生懸命走ることは当然としても、大事なことは襷をきちっと確実に渡すということです。

  襷を渡すために走ると言っても良いでしょう。

 次に伝える大事な襷に気がつけば自ずから、走り方生き方が代わります。

生まれたばかりの我が子と奥さんの写真を飾って運転している長距離トラックの運転手さんがいます。

 若いときと違って無事故無違反です。

 何時もならグーとアクセルを踏むところを、目の前に揺れる家族の写真に思わずブレーキがかかるのだそうです。

 宝物を持つとはこういう事です。

  「百年たったら宝もの」と言う言葉には、まだ見ぬ世代への思いやりを感じる事ができます。

 私達はその思いやりの中、その溢れんばかりのお宝の中に生かされているのです。

 思わず合掌したくなると言うのはここです。

 合掌の気持ちがここにあるのです。

 又それを、まだ見ぬ次の世代に残し伝えて行かなければ成らないと言う思いが湧きおこります。

 百年たった、いや、それ以上の如何にも古い街並み、陳列してあるお宝を間近にして「使いこなされた古い道具にはかなわない」と言う、ある陶芸家の言葉が思い出されます。




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