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          今 唐突に『方丈記』

(臨済宗・徳隣寺・阿部浩岳


 冒頭から恐縮ですが、最近、私の頭の中を、次の文章が何の前触れもなしに廻り始めました。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる(ためし)なし。」

 鎌倉初期、鴨長明によって著された『方丈記』の冒頭部分です。

 意味は「(いつも滔滔(とうとう)と)行く河の流れは絶えなくて、それでいて、(そこにある水は)もとの水ではない。(流れの)よどみに浮かぶあわは、一方では消え、一方ではあらわれて、いつまでも(そのままの姿で)とどまっている(ためし)はない。」

 先月の連休に、学生時代に大変お世話になった先輩から突然「今、萩の浦上美術館に来ているが、会う時間はありますか」と電話を頂き、二十年ぶりにお会いすることができました。

 外見的にはお腹の周りが成長しておられ、私も髪が薄くなってしまいましたが、心は一気に昭和四十年代の終わりに帰って楽しい再会の一時を満喫させて頂きました。

 連休が終わった頃から中旬にかけては、萩の風物詩〜夏柑の花の香りが辺り一面に漂いましたが、今年は殊の外甘く感じられ、芳醇な香りが体の隅々まで行き渡るよう、気がつくと何度も深々と深呼吸をしておりました。

 しかし、半月余りで徐々に香りは薄れてしまい、もう来年まであの香りにも会えないのだなあと寂しく思ったためかも知れませんが、『方丈記』の冒頭部分が記憶の底の方から唐突に浮かび上がってきたのです。

 先輩との再会、そして夏柑の花の香り。

 二つながら無関係のように見えましたが、よくよく考えてみると、「一期一会」という点で共通点を見いだすことができるように思えました。

 先輩とはお互い、生かされていて初めて再会させて頂くことができ、夏柑の花の香りは冬の寒い時期を乗り越えて初めて漂う、そのご縁を改めて有難く感謝させて頂きました。

 年齢を重ねてゆけば、どんどん肉体は老化が進んでいって記憶力などはその働きが落ちてきますが、物事を総合的に判断したり、物の本質を見抜いたりする働きは、むしろ深まるそうです。

 人生のその時期時期の風景を、「一期一会」という観点から楽しんでいきたいものです。




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