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          「痛み」と「感謝」

浄土真宗・三千坊・下間信英


 ある布教使さんのお話をさせていただきます。

 その布教使さんは、あるお寺の報恩講法要に、ご講師としてお招きを受けました。

 その地方は地鶏が有名で、ご遠方からご講師がわざわざ来られるということで、お寺のご門徒さんが自慢の地鶏をふるまってくれました。

 その鳥肉はとても新鮮で、お刺身でいただけたそうです。

 今まで食べたことがないほど、大変おいしい鳥肉だったので、その布教使さんはそのご門徒さんに、料理のお礼を述べるとともに、次のことをおっしゃられたそうです。

 「生まれてはじめて、こんなにおいしい鳥肉を食べました。あなたは毎日のように、こんなにおいしい鳥肉を食べることができて、本当に幸せですね。」

 すると、ご主人さんは、

 「私どもは、にわとりさまのおかげで、生活をさせていただき、いのちをながらえさせていただいております。にわとりさまに申し訳なくて、生まれてこのかた、にわとりさまを食べたことはございません」と・・・。

 私たち人間は生きていくためには、すなわち生命を維持していくためには、他の生きもののいのちを奪わなければなりません。

 他の生きもののいのちを奪わざるをえない我が身に気がついたとき、おのずとそこに「痛み」の心が芽生えてきましょう。

 そして同時に、私にいのちを奪われ、食べられて、私のいのちと一つになってくださる「いのち」の恵みに対し、「感謝」の心も芽生えてくることでしょう。

 私たちは、毎日朝昼晩と食事をし、いのちを恵まれています。その「痛み」と「感謝」をしっかり受け止め、「いただきます」「ごちそうさま」をさせていただきましょう。



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