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          樵夫とサトリの喩え話

(臨済宗・徳隣寺・阿部浩岳


 昨日は、お昼時に一転俄にかき曇ったと思いましたら、すぐに見通しが殆ど効かないような猛烈な土砂降りと雷に見舞われました。

 今日も、午後4時頃に昨日とよく似た感じで雨と雷に見舞われ、今やっと一段落して空が明るくなってきたところです。

 皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 本日は、「樵夫とサトリ」(このサトリは架空の動物です)が登場する喩え話を取り上げて、こだわらない心について考えてみようと思います。

 樵夫が木を伐っておりますと、そこにサトリという動物がやって参りました。

 先程申しましたとおり、このサトリは架空の動物です。

 さて、大変珍しい動物ですから、樵夫はサトリを獲えてやろうと考えました。

 すると、サトリが「お前は、俺を生捕りにしようとしているな」と言ったのです。

 「サトリは人間の心が読めるのだ!」

 ギョッとした樵夫に、サトリは、「お前は、言い当てられて、ビックリしている」と、追い討ちをかけます。

 更に、「今度は、俺を殺してやろうと考えているな」とまたもや言うのです。

 だんだん煩わしくなってきた樵夫に、サトリは「おやおや、もう俺をつかまえることを諦めてしまった」と言いました。

 そうこうするうちに、樵夫は本当にサトリのことを忘れてしまいました。

 彼は夢中になって、ただ木を伐っておりました。

 そのとき、です。

 樵夫の打ち下ろした斧が、偶然、柄からはずれてしまいました。

 斧の先だけが、ポーンと飛んで行って、サトリに命中してしまったのです。

 サトリは人間の心を読むことはできても、「こだわらない心」は読めなかったのです。

 私たちは、何か仕事をしようとするとき、結果や評価について、先んじてあれやこれや考えてしまいがちです。

 そんなこだわりがあると、なかなか仕事がよい塩梅には運ばないと相場は決まっております。

 そんなこだわりが無くなったとき、存外すばらしい仕事をさせてもらえる。

 「こだわりの無い、あっけらかんとした」状態が、「樵夫とサトリ」の喩え話で述べて参りましたとおり、邪念を克服した「無心」の状態です。

 おもしろい話と感じましたので、取り上げてみました。

 これから、暑い夏に向かいます。

 こまめに水分補給をして、御身御自愛ください。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。