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          気持ちはあるのだけれど、なかなか…

浄土宗・俊光寺副・岩垣貴頌


 しばしば、「気持ちはあるのだけれど、なかなかねぇ…」というお言葉を耳にします。

 思ってはいてもなかなか行動に起こせないこと、多いのではないでしょうか。

 仏教では心の内面の問題を説きながら、行為に非常に重きを置いています。

 伝統的な仏教のあり方は、戒律を守り行を実践するのが最も一般的なイメージでしょう。

 内面が、心が正しくあれば行いも正しくなる。ということではなく、正しい行いをしていれば正しい心が、内面が備わるという、なんというか、体育会系なスタンスを感じますね。

 西洋の方ですがアリストテレスさんが少し面白いことをおっしゃっていますのでご紹介いたします。

 洋の東西問わず、宗教や哲学が目指すものは、人間の幸福です。

 そして、この幸福に関してアリストテレスさんは「苦痛や快楽は小さな子供でも感じることができるが、幸福は訓練をしなければ感じることができない」という考えを持っていました。

 幸福というのは心の状態ではなく、人間の在り方だと考えていたようです。

 そして、幸福を感じる条件の一つに美徳を備えるということがありますが、そのために最も重要なことは実行することであると。

 「適切な人に、適切な度合いで、適切なことを、適切な動機から、適切な方法で」実行すること。

 このような実践的な智慧は、スポーツや楽器の演奏のような、技能を身につけることと似ています。

 「我々は正しい行動をすることで正しくなり、節度ある行動をすることで節度を身に付け、勇敢な行動をすることで勇敢になる」と、「習うより慣れろ」という感じですね。

 マナー専門のコラムニストの方が、礼状を書く習慣が失われたことを嘆いて、現代は気持ちがマナーよりも大切にされていると評していました。

 感謝を感じていればそのような形式を気にする必要はないと。

 それに対して彼女は「私は、反対に、適切な振る舞いをするうちに美徳の感覚が身につくと考える方が安心だと思います。十分な数の礼状を書けば、実際に感謝の気持ちが湧いてくるかもしれません。」

 これが、アリストテレスの立場です。

 美徳は行為の蓄積、習慣の結果として得られるもので、その上で初めて人間は幸福になれると考えていました。

 ですから、「気持ちはあるのだけれどなかなか…」ということではまだスタートラインに立っただけで踏み出せていません。

 その一歩一歩の蓄積があって、初めて気持ちの意味が増していきます。

 仏教に関するご法話、もしくは何らかの講演で色々なお話を聞く機会がおありだと思いますが、是非ともそれを実践していただいて、知識ではなく智慧として身につけて頂ければ幸いでございます。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。