『仏説譬喩経』というお経に「黒白二鼠の喩え」というお話があります。
ある時、一人の旅人が広野を歩いていますと、突然大きな暴れ象が現れ、迫ってきました。周りを見まわしても、身を隠すところがありません。
ところが、幸い古井戸にふじ蔓(つる)が垂れ下がっているのを見つけた旅人は、一目散にその中に逃げ込みました。
象は井戸の中をのぞき込みますが、中まで入ってこられません。
旅人は一安心し 、井戸の底を見ますと、その井戸の底には大蛇が大きな口をあけて、旅人の落ちて来るのを待ち受けていました。
上へも登れず、下へも降りられず絶体絶命、命の綱はふじ蔓一本です。
ところが、そのふじ蔓の根元のところでガリガリという音がしています。
よく見ると、横穴から白鼠と黒鼠が入れ替わりして、顔を出して根本をかじっています。
「もう駄目だ」と天を仰いで嘆息していると、ポタリポタリと甘い蜜が五滴も口の中に入ってきました。
ふじ蔓の根元に蜂の巣があって、そこから甘い蜂蜜が垂れてきたのです。旅人はその蜜の甘さに、しばし恐怖を忘れてしまいました。
と、いうお話です。この旅人とは、人生の旅をしている私たちのことです。
象は時間の流れ、無常のことです。井戸の底の大蛇は死の影で、私共を待ち構えているのです。
ふじ蔓とは命の根、自分の寿命です。白と黒の鼠は、昼と夜のことです。私共の命は一日一日と縮まっていきます。
五滴の蜂蜜とは食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望です。
今最高に幸せと誇ってみてもそれは世俗の喜びで長続きはしません。それゆえに私たちは不安を覚えます。
浄土真宗のみ教えは、この旅人の状態の私を、阿弥陀さまの救いを信じお念仏申す者をその身そのまま誰一人落とすことなく、光明に摂め取って捨てることはないという、生死を超えていくみ教えです。