(曹洞宗・梅岳寺副・末武正憲)
去る5月30日から6月3日にかけて福島県郡山市と宮城県仙台市に行ってきた時の様子を、実際訪れて、見て、感じたことをお話致します。
こちらを朝6時に出発して、走り続けること16時間、郡山市に着きました。
まず驚いたことに、見た限り、地震での被害が全く見受けられませんでした。
そして一見平常にしか見えないその社会の中で、確かに避難所生活をしている人たちがいるという事実に異様な雰囲気を感じました。
活動一日目、現地青年会の炊き出しに参加させて頂き、イベントホールで生活している浜通りの人たち千人分の昼食を作りました。
多少焦がしながらも作った昼食を「おいしい」と言っておかわりに来てくれた姿には、被災地生活の悲壮感などは微塵も感じず、逞しさすら感じた程でした。
その夜、炊き出し参加の手配をして頂いた和尚さんと会食をした時の言葉が今でも忘れられません。
「もとの基準値、年間1mSvはすでに福島全域で超えている。だから基準値の方を上げたんだ。もう諦めている。」と。
活動二日目、三日目は仙台市若林区にあるお寺に行きました。
感じたことは、「言葉にならない」という表現が一番しっくりくると思います。
そのお寺は海岸から数qも離れているにも関わらず、2mもの津波が押し寄せ、本堂まで床上浸水し、地震で倒れた位牌に泥が塗れた状態でした。
お寺は一般のボランティアも作業に来てくれた御蔭で、ようやく仮の本堂で葬儀が出来るようになった状態でした。
ただ、一般の人たちが位牌に触れるのは抵抗があるということで、私たちが汚れた位牌の清掃を行いました。
二百以上はあろうかという位牌を磨きながら、お坊さんであるからこそ出来る掛け替えのない尊い仕事に、えもいわれぬ充足感を感じたのもまた事実です。
福島県の人たちの目に見えない恐怖や、宮城県の人たちの先の見えない不安。
いずれも私たちには、その本当の心は理解し得ないと思います。
私たち山口県曹洞宗は震災以降毎週五人程度を被災地に派遣して行茶活動などを行っております。
少しでも被災した人たちの心の支えになれれば幸いだと思います。
しかしながら、山口から東北まで行って活動することに、少なからざるお金も掛かります。
皆様はいかがお考えでしょうか。