トップ > ネット法話

このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。[開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。

          言葉の限界

浄土宗・俊光寺・岩垣貴頌


 私たちは、自信を持って行動している時、無意識に自分の見方、判断は間違っていないと思っています。

 しかし、私たちの見方や判断というものは少しの言い回しの違い、表現の違いで印象を大きく変えてしまいます。

 最近、近くの国がミサイルの発射実験を行い世間を騒がせていました。

 その時、弟が「ミサイルの名前を北極星2号と言わずに、英語でポラリスUとかいうと、印象がだいぶ変わりそうだよね」と言っていまして、私も「あ、ほんとだ」と思いました。

 時代錯誤を感じたのはその言葉の印象でしょうか。

 ちなみに、火星14号は、現地語で火星はファソンと発音するらしいので、そのままカタカナで報道するならファソン14号というところでしょうか。

 人それぞれ感じ方は様々だとは思いますが、日本で売られている自動車の名前がほとんどカタカナで、漢字の商品はほとんど見かけないことからも、多くの日本人にとって機械系のものの名前はカタカナの方が受ける印象はよいことが多いように思われます。

 たった、漢字とカタカナの違いぐらいで、という気もしないではないですが、必死で売ろうといている多くの企業がカタカナの商品名を多用しているということは、そういうことなのでしょう。

 言葉というものは伝える側よりも、その多くを受け手に依存するものではありますが、注意していないと、簡単にいろいろなものを取りこぼしてしまいそうです。

 少しの言い回しの違いで印象が変わるということは、漢字とカタカナの違いなどでも起こりますが、特に、意味の強い言葉は要注意です。

 勇気とか、印象の良い単語を付けるだけで、全体の印象は引きずられてしまいます。

 例えば、離婚する勇気。撤退する勇気。

 勇気と付くだけで、何を言われるまでもなく、何か、重大な理由がありそうな印象になります。

 そして、失敗する勇気。

 これだけでもう、失敗が良いことであるかのような印象になったりはしないでしょうか。

 このように、私たちのものの感じ方というのは、少しの言葉の表現の違いにも多くの影響をうけています。

 自分は間違っていないはずだという思い込みはとても危ういものです。

 そして、私たちはその多くを言葉でしか表現できず、また、受け取ることもできません。

 仏様の知見には遠く及ばない私たちの理解や感じ方というのは、とても不完全で一面的だということを肝に銘じなければと感じています。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。