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          今年の漢字「変」と唯識的ものの見方

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 恒例の世相を現す漢字として今年は「変」が選ばれました。

 政治や経済情勢の急激な「変化」を表しているようです。

 さらに「変」とは、基準からずれている、まともではない、という意味も含んでいるといえるでしょう。

 この漢字を京都の清水寺貫首が大きな紙に揮毫する姿は年末の風物詩となっておりますが、清水寺の宗派は以外とご存じでない方が多いようです。

 「北法相宗(きたほっそうしゅう)」という、インド古来より伝わる唯識(ゆいしき)、ただ心だけがある、という仏教哲学に基づく寺院の一つであります。

 この「変」という漢字は唯識の教えにおいてとても大切なことばでもあります。

 一言で申し上げるならば、自分の見方を変えることで相手が変わる、ということです。

 たとえばお嫁さんにとっては、口やかましい意地悪なお姑さんでも、孫にとってはお小遣いをくれて何でもいうことを聞いてくれる優しいお婆さんに映ります。

 同じ人でも全く違う印象を与えるのはどういうことでしょうか?

 私たちは生まれてから成長するにつれて、ものの見方、考え方が知らず知らずのうちに、自分に都合のよいように染まっていきます。

 同じ人を一人一人が平等に見ようと思っても、経験によって作られた自分の色眼鏡で見ます。

 ですからある人にとっては心地よい人として映り、別の人には不愉快な人に映ったりと、いろんな人物像が出来上がってしまうのです。

 目の前のものをありのまま見ていると思っても、実は頭の中で自分に都合よく作り上げているものを見ているに過ぎない、それが凡夫の私たちである、と唯識では鋭く指摘します。

 受け入れがたい人がいても、その人を非難する態度を改めてみることが第一歩です。

 相手に何とかして変わってもらいたいと求めるのではなく、私自身がその人に対する態度を変える。

 するとその人を見る眼(まなこ)が変わってくる。

 同時に自分勝手で都合のよい見方を避ける努力をする。

 これが正しいものの見方・考え方であり、それを地道に積み重ねることで穏やかで安心した生き方に結びついていく、と学ぶべきだろうと思います。



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