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真っ直ぐに見る
(臨済宗・徳隣寺・阿部浩岳)
ずいぶん寒くなって参りましたが、お健やかにお過ごしでしょうか?
庭から時々夜空を眺めるのですが、風の移ろいの中に仄かに甘い花の香りのようなものを嗅ぐことがあります。
本日は、皆様よくご存じの室町時代の禅僧、一休禅師についてのお話です。
ある村に、それはそれは見事な曲がりくねりようの松がありました。
一休禅師は、「誰か、この松を真っ直ぐに見た者に、褒美をあげよう」と言われました。
村人達は、どこからどう見れば真っ直ぐに見えるんだろうと、あちらこちらから松を眺めて見る。
しかしどう見ても真っ直ぐには見えない。
そのうち一人の村人が「いやあ、この松、どう見ても曲がりくねっているなあ・・・」と言いましたところ、一休禅師が「お前さんが今この松を真っ直ぐに見た!お前に褒美をやろう」と言われたそうです。
尤も、褒美が何だったかまでは伝わっていません。
一休禅師は、曲がりくねった松は曲がりくねったままで真っ直ぐである。
曲がりくねったものを、曲がりくねっていないと見ることはひねくれた見方であり、決して真っ直ぐに見たことにはならない。
それは『真っ直ぐに』を『あるがままに』に置き換えてみると、よりハッキリと問題を捉え直すことができるようになり、村人達、いや私たちに『あるがままに』見ることを教えようとされたのです。
そして、私たちが物事を真っ直ぐに『あるがままに』見ようとする時の妨げとなるのは、『曲がったものはいけない』という先入観であると説いておられ、先入観を捨てるように言っておられます。
曲がった松も曲がっていない松も、全てすばらしいと肯定できたとき、はじめて物は『あるがままに』見えるのです。
人間の眼は、変な先入観によって曇っており、それで物が歪んで映る。
「先入観を捨てて、眼のレンズの曇りを取りなさい!」と、一休禅師は私たちに『禅の教え、仏教の教え』を説いておられるのです。
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