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          迷信俗信

浄土真宗・西生寺・三上淳久


 浄土真宗のみ教えは、「阿弥陀如来様より賜る信心によって、命が終わると同時にお浄土に生まれ、仏様とならさせていただく」という教えです。

 仏様となられた方は、私達を仏縁に遭わせ真実に目覚めさせようとはたらいてくださいます。

 ところが、私達の行いはどうでしょうか。

 例えば、友引の日にお葬儀をすると「死者が友を引っ張りさらに死人が出る」とか、満中陰が3ヶ月にわたると「しじゅう苦が身につく」、

 また、満中陰までのあいだ線香や蝋燭の火を絶やしてしまうと死者が迷うなどの語呂合わせや仏教的に因果関係のないことをしています。

 最近では、昔からそうしているのでほかの人と同じようにする人や、周りの人から色々いわれてやむなくしている人があり、説明をしてはじめて意味を知るという方も珍しくはありません。

 はたして、自分の命が終わる時に、身近な人を道連れにするでしょうか。

 遺族や親族に苦しみを与え続けるでしょうか。

 火が点いているか消えているかで迷ったり悟ったりするものでしょうか。

 こうして迷信や俗信の一つ一つをよくよく考えますと、本当に迷っているのは生きているこの私であります。

 仏様のおはたらきは、命終わった方のためというよりも、むしろこの娑婆世界で迷いに迷っているこの私のためのものであります。

 お彼岸が終わったばかりでありますが、あらためて、尊い仏縁にあわせてくださったご先祖様に感謝し、この私をお救いくださる阿弥陀如来様に手を合わせるとともに、そのお救いのご法話に耳をかたむけたいことであります。



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