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          人間に未来に対する権利はない

(臨済宗・徳隣寺・阿部浩岳


 先日、ささやかなことではありますが、所謂『板木一枚下は地獄』の事態に遭遇し、普段は取り立てて意識するようなこともない無事であるということが、如何に多くの幸運とご加護によっているかに思いを新たにし、有難さに感謝しているところです。

 今週は、そういう経緯も踏まえ、『人間に未来に対する権利はない』という文章の引用・抜粋を、紹介させていただきます。

 イスラム教の聖典『コーラン』には、何事にもよらず、「わしは明日これこれのことをする」と言いっ放しにしてはならない。必ず「もしアッラーの御心ならば」とつけ加えるように、とあります。(十八章23〜24節)

 「もしアッラーの御心ならば」の箇所が、我々が時折耳にする「イン・シャー・アッラー」「インシャラー」です。

 例えば、イスラム教国の航空機では、機内放送は必ず「インシャラー」で始まります。

 「インシャラー、この飛行機はあと十五分で成田空港に着陸します」、即ち、飛行機が成田空港に着陸できるか否か、それは神が決められることで、人間は着陸させるべく努力はしても、努力だけでは決まらない。

 努力が全てと考えている日本人とは、真反対です。

 また、パキスタンのイスラム教徒に、電話で「明日九時に会いに行くよ」と告げた時、パキスタン人は、「どうかおいで下さい。待ってます。インシャラー」と応答しました。

 あれは、「遅れてもいいのですよ。無理しないで下さい」という意味のイン・シャー・アッラーでした。

 イスラム教徒は、未来はアッラーの権限下にあると信じているから、ゆったり、のんびり人生を送ることができる。

 それに反して無宗教の日本人は−日本人のうちでも、しっかりと仏教の精神を学んでいる人は違いますが−人生にゆとりがありません。

 みんな自己責任で生きていかねばならないから、あくせく、がつがつ、いらいらしています。

 もっと「阿呆」になりましょうよ。

 「阿呆」になるということは、あまり未来の心配をしないこと。

 未来は神にお任せします。

 なにせ、人間には、未来に対する権利はないのですから、お任せするよりほかありません。

 仏教者であれば、未来は仏にお任せしますか。

 それとも未来をなるがままに任せますか。

 案外、なるがままに任せるのが仏教的なように思います。

 最後に、未来の心配はしないということは、努力をしつつ、明日はきっとよくなるという希望の部分も含んだ底抜けに明るい楽天家の「阿呆」であるということのようです。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。