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    懺悔(さんげ)のススメ

曹洞宗・大覚寺・末益泰輝


 日々の生活において、反省をしない日がありません。

 毎日、多くの人とお付き合いをし、会話を重ねる中で、「あぁ、今日も余計な事を言ってしまった・・・」「あんな事をしなければよかった・・・」といった後悔を持つことことが少なくありません。

 皆さまは如何でしょうか。

 「生きているんだから仕方がない、当然のことだよ」という思いも勿論ありますが、仏さまの教えを頂く身としては、やはり気付けば反省をし、「明日こそは言うまい、行うまい」とお誓いしなければ、と考えるのです。

 「懺悔文(さんげもん)」という偈文をご存じの方も多いと思います。

 「我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
 「皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
 「従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
 「一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

 という、懺悔の言葉です。

 曹洞宗の檀信徒におかれましては、「修証義(しゅしょうぎ)」という経典の第二章「懺悔滅罪(さんげめつざい)」という巻に示されておりますので、よくご承知と思います。

 「私が昔から造り成してきた諸々の悪しき行いは、皆、いつとはなしに、心の中の(むさぼ)りと(いか)りと(おろか)さといった、いわゆる三毒と呼ばれる根本的な煩悩によるもので、悪しき行いをし、嘘、偽りなどの言葉を放ち、よこしまな想いを抱え、それぞれが働きあって迷い、その結果苦しむということを繰り返している。今、私はそれら一切がっさいを懺悔いたします。」

 「修証義」では更に「心念身儀発露白仏(しんねんしんぎほっろびゃくぶつ)」と続きます。

 「心に深く清らかな念を発し、身には礼拝等を通じて信仰を表わし、御仏の前で口に一切の罪業を(あらわ)す。」

 懺悔をするということは、自分自身の有りように向き合うことです。

 向き合うことによって、今日以後の自分の有りようが見えてくるのではないでしょうか。

 毎日欠かさずお仏壇の前でのお参りをされておられることと思いますが、姿勢を正してお坐り頂き、合掌して、真心をもって懺悔文を唱えてみませんか。

 きっと心身共に清らかな生活の入り口になることと思います。




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