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          節分を終えて

(臨済宗・徳隣寺・阿部浩岳


 今回は、『節分』を過ぎたばかりでございますので、『節分』を通して少しばかり『旧暦』の世界に触れてみました。

 皆様よく御存じの『赤穂浪士の討ち入り』、毎年十二月十四日には、番組の冒頭「今日は赤穂浪士の討ち入りの日です」と必ずと言っていいほど前置きしますが、『旧暦』の十二月十四日は現在の暦『新暦』では一月三十日に当たり、なるほど大雪が降ったんだなあと納得がいきます。

 話を『節分』に戻しますと、もともとは二十四節季の内の立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日を言い、四季の変わる節目をさすものが、やがて一年の変わり目である立春の前日だけに絞られてきたとのことです。

 二十四節季は農耕社会の成立には不可欠なものでした。

 日時計で太陽による影の長さが最長になる冬至と、最短の夏至が先ず決められ、一年の周期を決定、昼と夜の長さがほぼ等しくなる春分と秋分が加えられ、大きく四分割された後、その中間点が立春、立夏、立秋、立冬となって今に伝わっております。

 因みに、「立春というけれど、まだ寒い」「立秋というけれど、ちっとも涼しくない」と私達は口にしますが、大寒から数えると立春は寒さの底。

 これから暖かくなるというその瞬間を捉えており、立秋も亦然りと言うことのようです。

 『旧暦』には、太陽のめぐりに基づく立春と、月の満ち欠けのリズムに合わせた正月があったのですが、その二つがほぼ同じ時期にあり、大晦日から元旦、節分から立春、いずれも年取りの意味がありました。

 そこで、正月は祖先の霊を搗き込んだ年玉の餅を、節分は炒った豆を、それぞれ年取りの意味で、食べる習慣があったのです。

 節分の豆撒きは、新年を迎える行事に先立って払え清めの意味を持っていたのです。

 このように『旧暦』に触れてみますと、先祖が生きていく上で作り上げ伝えてきた素晴らしい、そして瑞々しい感性を嬉しく思ってしまいました。




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