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          信仰に基いた環境配慮

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 福井県の曹洞宗大本山永平寺の正門に「杓底一残水、汲流千億人」とあります。

 柄杓(ひしゃく)に残ったわずかな水でも川へ戻せば、その流れの先では千億もの人々が利用できる、と読めますので、限られた資源を皆と共有しながら有効に使うべし、とのお示しと受け取られる方が多いのではないでしょうか。

 しかしこのお言葉の真意はさらにもっと深いところにあるように思います。

 柄杓の水とは仏前に供えるためにも用意されたでしょうから、川へお返しする時、あたかも千億の諸仏諸菩薩への供養のように懇ろにするべきとのお示しとも窺い知られます。

 世間では、企業は「省エネ」を謳い文句にした家電製品や自動車などを開発し、消費者はそれを重要な購入条件と位置付けるようになりました。

 次の世代のためにも、環境に配慮すべきとの意識に基づいているのでしょう。

 ところがもしかすると、企業はより多く売るための商品価値として省エネを大きくアピールし、消費者も光熱・燃料費などの家計負担をより低く抑えたい、というのが本音かも知れません。

 そうしますと省エネという資源の有効利用・環境配慮ということが、実際にはいかに経済的に無駄を省けるか、に主眼がすり替えられてしまいます。

 これは現在の自分たちにのみ目が向けられた生活態度といえるかもしれません。

 環境問題解決のためにはコスト効果を考えることは、市場経済下に生活する以上重要なことでしょうが、あくまで動機付けに過ぎないと心得るべきでしょう。

 資源を大切に利用するだけでなく、残った僅かなものでも他の多くの人々へ「供養として捧げる」という一段高い意識が、正しい信仰に基づく環境配慮であり生活態度だと言えるでしょう。



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