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      周期する生物的時間

曹洞宗・海潮寺副・木村延崇


 このほど6才になったばかりの長男の乳歯が抜けました。

 下あごの歯が抜けましたので、私自身も子供の頃にしたように、永久歯が順調に育つことを願い、屋根の上に向けて投げました。

 次の歯に後を委ね自らは抜け替わるという現象は、死ぬことで次世代にその場をゆずるという、生物の象徴的な姿を表しているようにも思います。

 理学博士の本川達雄先生は『生物学的文明論』という書物の中で、生物には古典物理学の「直線的時間」と同時に、「回る(周期する)時間」の二面性がある、とおっしゃいます。

 一方向へ真っ直ぐに流れ去っていくのが「直線的時間」ですが、「時間が過ぎ去る」などと言うように、私たちにもなじみ深い考え方でしょう。

 一方で、本川先生によれば、60才で迎える還暦や、生き替わり死に替わりの輪廻といった、ぐるっと回って元に戻る、生まれ変わって時間がゼロにリセットされる、という「回る(周期する)時間」の中で日本人は生きてきたのではないだろうかと指摘されます。

 自分そっくりの子供を作り、自身は死んで土に還るのが生物のありようですが、ゼロに時間を戻すことを繰り返し継続することで、生物は地球上に誕生以来38億年も生き続けてきました。

 死んでよみがえりを繰り返すことが不死であり、これは実に正しい生命観だと思います、とも述べられています。

 聖求経などの仏典には「ブッダは不死の法を得た」と説かれ、それは理想的な涅槃の境地とされます。

 自分の死だけを見れば苦しみとなりますが、生命全体で見れば死なないから安心しなさい、と受け止めたいと思います。

 さて、話を息子の抜けた乳歯に戻しましょう。

 西洋では抜けた乳歯を記念として大切に保存するようですが、日本人が屋根や縁の下に乳歯を投げるのは、単なるおまじないのような習慣として片付けられるでしょうか。

 抜けた乳歯をサッパリ手放すことは、新たな永久歯にお役目を託すための一種の儀礼であり、個人の死を契機に、命が次世代へと無事に継続されることを祈る、日本人特有の生命観が見事に表れている、といったら少々大袈裟でしょうか?