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          タスケルゾヨ

(浄土真宗・明光寺・栄 嶺司


 わたくしたち人間は、ひとりでは生きてゆくことができません。いろいろな人たちのご縁によって生きているというか、生かされているのです。

 生きているというとちょっとかたくるしいですね。自力の力のように思えます。

 他力の教えは、生きているのではなく、生かされていると感じることが大切です。

 よく見てみると、自力のものは、ほとんど他力ばかりです。

 わたくしたちの心臓は、どうやって動いているのでしょう。脳からの指令を受けて、動いています。自力ではなく、他力です。

 これは、ペースメイカーなどによって心臓を動かしている人も、自力ではなく他力です。

 一見自力に思えることも、よく見てみますと、他力なんですね。

 命というものも、いただきものなのです。

 このいただきものの命を、いかに大切に生きてゆくかということが大事なのです。

 ともすれば、お酒を飲みすぎたり、たばこを吸いすぎたりします。何ごともほどほどが大切です。

 わたくしはお酒をやめましたが、たばこはなかなかやめられません。親などは、そんなに害のあるものを売る政府が悪いと言っています。

 しかし、この問題は一概にはかたづきません。たばこ農家などは、たばこの値が上がると、たばこが売れずに困ってしまいます。

 どちらかがよければ、どちらかが悪い、これが世の中です。

 しかし、仏様の世界は、平等の世界です。この平等の世界に行くには、何も難しいことはありません。

 ただナンマンダブ、ナンマンダブとお念仏を唱えるだけでよいのです。

 それでは、ナンマンダブとはどういう意味かと申しますと、わかりやすく言いますと、タスケルゾヨという呼び声です。

 わたくしたちは疑いの心をすてて、一心にタスケルゾヨという呼び声に、身も心もおまかせすることが大切です。

 そして、助かった時、初めてありがとうございますのお念仏になってくるのです。

 それでは、どういうときお念仏を唱えればよいかと申しますと、つらい時、悲しい時、寂しい時にお念仏を唱えるとよろしいのです。

 その時、仏様の救いがさっとやってきます。

 お金も智慧も何もいりません。ただ仏様に身も心もまかせればよいのです。

 阿弥陀如来様という仏様は、わたくしの名を呼ぶものは必ず救うと誓われた仏様です。

 南無阿弥陀仏とは、タスケルゾヨという仏様からの呼び声です。

 普段からナンマイダブ、ナンマイダブと唱えることが大切です。

 そうすると苦しい時ほど、このお念仏の力が発揮されます。

 人間は生まれてくるのもひとり、死んでゆくのもひとりです。そこについてきてくださるのが、阿弥陀如来様です。

 阿弥陀如来様は色も形もなく、お念仏を唱える時にあらわれて下さいます。つまり声の仏様です。

 いつでも、どこでも、どんなときでも、お念仏を唱えるところにあらわれて下さいます。




音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。