(曹洞宗・大覚寺・末益泰輝)
境内に、梅の木が2本植えてあります。
本堂へ上がる階段を挟んで、左右に1本ずつ。同じ種類のもので、同時期に植えられたものと思われますが、華が開くタイミングには、何故か2週間余りの差があります。
日当たりの関係でしょうか。
今年も、早いほうの木では1月中旬から華が開き始め、今はちょうど満開で、ほんのりと境内に、その香りを漂わせています。
毎年、寒さに負けず、小さく美しい華を咲かせる梅の姿には、なんとなく凛としたものを感じさせられます。
禅の言葉に「雪裏の梅華只一枝(せつりのばいか ただ いっし)」というものがあります。
この言葉の前後に本来あるくだりを添えて、学んでみますと、
「降り積もる雪の中、厳しい寒さに耐えている梅の一枝(ひとえだ)がある。今はみな、蕾もなく茨だらけだが、やがて春が来れば、一斉に華を咲かせるだろう。」
という意味になるようです。
ここにおける、雪の中で耐え忍ぶことが「坐禅」や「修行」をあらわし、やがて開く梅の華が「悟り」、「仏の世界」を示すとされます。
冬の寒さの中での修行は大変厳しい、しかし、その寒さ、厳しさに耐えてこそ、春を迎えた時、梅は香しい(かぐわしい)華を咲かせる。
つまり、仏様の世界があらわれるのです。
まさしく、仏の道に励む修行者にたいしての、深い激励の言葉と言えましょう。
私たちの生活に引き当てれば、様々な苦労や悩み、忍耐が伴う毎日ではあるけれども、その中で、少しづつでも自分なりに歩み続ける。
そこにはきっと、かけがえのない価値と真実、さらには、わたしの「命の輝き」が実現するのだ、という、大きな励ましの教えと受け止めたいと思います。